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2013年10月26日土曜日

外見と内面のどちらが大事か、あるいはノーブランドについて


こんばんは

ふと思ったんですが、ブランドに対してノーブランドってあるじゃないですか。
つまりまだブランド化されていないブランド、まあ永遠にブランドにはならないものもほとんどだと思います。

ノーブランドのことを考えていてふと思ったんですが、
自分が扱っている「アメリカ古着」(考えあって「アメカジコレクション」として展開しています。)と「国内古着」(こちらも考えあって「厳選古着」として展開中。)。
この二つはメインなアイテムになるんですが、
共通するのが、ノーブランドだったんですね。

両方ともあえて「ノーブランドがほとんどです」ってうたっている。
ヤフオクでノーブランドで勝負している人って他にも結構いるんですかね。
まあ自分もノーブランドだけで行くってわけでも全然ないんですけど。

それでなぜノーブランドの話が出たかって言うと、
はじめたばかりの「厳選古着」が結構な人気(またまた自分で言っちゃう。)だったんで、
それでふと思ったわけです。

ノーブランドを出品して落札されるのもまあ大変だけど、これを選んで入札してくる人たちってすごいなあと。

服を選ぶのにブランドって普通結構大事で、それでざっくり買うか買わないか分けている人も多いと思います。
自分はココとココとココって感じで。

ところがノーブランドに入札する人はそういうブランドという背景を持ってないものに対して、
「非常に良い」「格好良い」という評価をしているわけです。

これは「この服そのものが良い」ってことじゃないかと。

それですごいなあと。

ファッションとかおしゃれについてまじめに考えていくと、
人間の内面性と外見は関係があるのかってふと思ってしまいます。

といっても実は今の僕はそんなこと思わず、それは自分がそういうことについて一定の結論が出ているからですが。

でもそういうことを考える人も結構いるんじゃないでしょうか?

「俺の内面性と、着ている服なんて関係ない」とか思ったことはないでしょうか。
実際着ている服がぼろくたって、ダサくたってその人がどういう人かについては関係ありませんよね。
「いや、あるよ」って方もいると思いますが、まあ本人だけの関係で見れば、服なんて全然関係ない。

だからまじめに言ったら内面から出てくるような「個性」とか「美しさ」に対して洋服なんて表面的なものでしかない。
そうなるとファッションとか外見ってどういう位置づけなんでしょうか。

思うのは人間の個性なんて、そう簡単に他人から理解されるものではなく、
それが孤独だったりするんで、歌を歌ったり、絵を描いたり、文章を書いたり、
そういうことを人はしてきたのではないかと。

ファッションもそれと同じではないだろかと。

ちょっと哲学的に言えば、
本人だけの関係性での「内面そのもの」と、他人との関係性での「人から見た内面(個性)」を
つなぐ媒体というか、まあ橋のようなものではないでしょうか。

コテコテというかガチガチに高級ブランドで固めた人を想像してみてください。
あるいはありえないくらい奇抜な格好をした人でもいい。
大体こういう人たちについてどういう固定観念を持っていて、実際その人はその通りなのかと考えるとさっき言った意味が分かると思います。
固定観念通りじゃないかもしれませんよね。

そのあたりをちょっとまとめるとファッションとか服は「伝えるもの」ということになります。


そう考えていくとノーブランドの服を選んでいく人たちの内面性というのが少し分かる気がします。
すごくシンプルに自分の好みを表現できる人なんだなあと。
まあそういうものを出して、「これを見てください。ノーブランドですけど。」って言っている自分が言うのは何ですが笑

ブランドが悪いってわけではありません。
自分もラルフローレン大好きですし笑

ブランドが伝えるその人の個性もあると思います。

まあそれはそれで別の機会にふれるとして、
ブランド抜きに服を選ぶ、純粋にデザインで自分を伝えられる、表現できるというのはいいなあ。

そんなことを思ったりしたわけでした。









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